建物を長持ちさせるには、まず「貸せるビル」でなければならない。
ESGが不動産の価値を左右する時代
不動産投資の世界では、ESGへの対応が資産価値を判断する重要な要素になっています。ESGとは、Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス)の頭文字です。環境負荷の低減だけでなく、社会への配慮や適切な管理・運営を含め、投資対象の持続可能性を考えるものです。
不動産分野では、省エネルギー性能、CO₂排出量、環境認証、建物の安全性や快適性などが評価対象になります。とりわけ不動産ファンドにとっては、個々のビルの収益性だけでなく、環境性能の改善に必要な将来の投資額や、保有期間中のリスクも無視できません。
こうした背景から、不動産の評価では「グリーンプレミアム」と「ブラウンディスカウント」という二つの概念が注目されています。
グリーンプレミアムとブラウンディスカウント
環境性能の高い不動産が、そうでない不動産より高い賃料や価格で評価される現象を「グリーンプレミアム」と呼びます。反対に、環境性能が低いことで不利な評価を受ける現象が「ブラウンディスカウント」です。
国内外の研究では、環境認証取得ビルに賃料や価格のプレミアムが観測された事例が報告されています。ただし、環境認証を取得すれば必ず賃料が上がるわけではありません。立地、築年数、建物規模、設備水準、賃貸市場の状況などによって、評価は異なります。
私たちが既存ビルの実務を考えるうえで、より注意したいのはブラウンディスカウントです。例えば、入居を検討する企業が一定の環境性能を求めていた場合、その条件を満たさないビルは、賃料交渉に進む以前に候補から外れるかもしれません。
環境性能の改善によって高い賃料を得られるかどうかという問題だけではありません。環境性能の不足によって、そもそも貸せる相手が限られてしまう。 これは既存ビルにとって、より深刻な問題になり得ます。
ビルの寿命は、構造体の耐久性だけでは決まらない
築年数を重ねたビルであっても、構造体はまだ十分に使用できる場合があります。しかし、設備が古く、共用部の印象も悪く、現在のテナントニーズに合っていない。賃料を下げても空室が埋まらない。その建物は、あと何年使い続けられるのでしょうか。
物理的な寿命が残っていることと、不動産として経済的に使い続けられることは同じではありません。空室が増えれば賃料収入が減り、修繕や設備更新への投資余力も失われていきます。必要な工事を先送りすれば、建物の競争力はさらに低下するかもしれません。
一方、時代の需要に合わせた改修によって収益を維持できれば、必要な修繕や設備更新を継続しやすくなります。建物を長持ちさせるには、長く貸せるビルである必要がある。 私たちは、ここに既存不動産の持続可能性を考えるうえでの基本的な条件があると考えています。
収益力の維持は、不動産価値にも直結する
不動産ファンドがビルの改修投資を判断するとき、単に工事費の大小だけを見ているわけではありません。改修によって賃料水準を維持できるのか、空室期間を短縮できるのか、設備更新によって運営費用や将来の故障リスクを抑えられるのか。これらは保有期間中のキャッシュフローだけでなく、将来の売却価格にも影響します。
例えば、改修によって年間の純収益(NOI)が1,000万円増えたとします。仮に還元利回りを4%とすれば、単純な直接還元法では、純収益1,000万円の増加は理論上2億5,000万円の価値増加に相当します。
1,000万円 ÷ 4% = 2億5,000万円
もちろん、実際の投資判断では改修費用、賃料の持続性、空室リスク、将来の資本的支出、市場環境などを考慮する必要があります。還元利回りも一定とは限りません。しかし、この計算例からも、建物の収益力と不動産価値が密接に関係していることが分かります。
環境性能の改善も、建物の価値向上も、その投資によって何が変わるのかを検証しなければなりません。
国土交通省も中小ビルのESG対応とバリューアップを重視している
国土交通省は、2024〜2025年度に「中小ビルのバリューアップ改修投資の促進に向けたモデル調査事業」を実施しました。この事業では、改修期を迎えた中小ビルについて、ESG等の社会課題への対応と不動産価値の向上を結びつける改修提案・事例を募集しています。
対象には、築20年以上、延べ面積3,000坪未満、改修前の用途が住宅以外であることなどの条件が設けられました。採択されたのは18件、19物件です。
さらに2025〜2026年度には、改修による環境的・社会的な効果を評価し、投資家やテナント、地域住民などに伝えるための「不動産のインパクト改修投資促進に向けたモデル調査事業」も進めています。
注目したいのは、国土交通省が単に省エネ設備の普及を図っているのではなく、社会課題への対応を不動産の価値向上と結びつけようとしていることです。もっとも、国のモデル事業で評価された取り組みが、すべての中小ビルにとって経済合理性のある改修になるとは限りません。
ここからは、私たち自身の実務的な考え方です。
気候変動への対応力も、ビルの価値を左右する
既存ビルのESGを考えるとき、これまではCO₂排出量の削減や省エネルギー性能の改善に注目が集まってきました。しかし、気候変動への対応には、もう一つ重要な視点があります。それは、既に起きている気候の変化に、建物自体が対応できるかという問題です。
気候変動対策には、温室効果ガスの排出を抑える「緩和」と、気候変動の影響に備える「適応」があります。LED照明や高効率設備の導入は、主に緩和に関わる取り組みです。一方、猛暑でも快適な室内環境を維持できることや、豪雨による浸水被害を抑えることは、適応の問題です。
今後の既存ビルでは、この両方を考える必要があります。
猛暑に対応できない空調設備
夏の猛暑が厳しくなるなか、古いビルの空調能力は、改めて検討する必要がある問題です。空調設備は、設計時に想定された外気条件や室内負荷などをもとに計画されています。しかし、気温の上昇や建物の使用状況の変化によって、従来の設備では十分な冷房能力を確保できなくなる場合があります。
特に既存ビルでは、設備の老朽化だけでなく、断熱性能、日射負荷、室外機の設置環境、電力容量など、複数の問題が関係します。高効率の空調設備に更新しただけで解決するとも限りません。実際の建物条件に合わせて、必要な能力や運転方法を検討することが重要です。
空調が十分に機能しないビルでは、環境認証以前に、テナントが快適に働くことができません。 これは、建物の競争力に直結する問題です。
集中豪雨によって顕在化する漏水リスク
もう一つ、無視できないのが豪雨です。屋上防水、外壁、サッシまわりなどの劣化は、以前から既存ビルの修繕課題でした。しかし、短時間に強い雨が降ることで、従来は目立たなかった雨仕舞いの弱点が顕在化することがあります。
屋上の排水能力が不足する、排水口が詰まる、サッシの取り合いから雨水が浸入する。原因は一つとは限りません。
漏水によってテナントの内装、什器、商品、情報機器などに被害が及べば、建物の修繕費用だけでは済みません。営業停止や業務中断につながることもあります。漏水を繰り返すビルでは、テナントとの信頼関係にも影響します。
こうした問題は、単なる建物の維持管理ではなく、賃貸経営上のリスクとして捉える必要があるでしょう。
都市部の中小ビルでも、地下浸水が問題になる
豪雨への対応では、屋上や外壁からの漏水だけでなく、地下への浸水にも注意が必要です。都市部では、短時間の集中豪雨によって下水道や排水施設の処理能力を超え、道路や低地に雨水があふれる「内水氾濫」が発生することがあります。河川から離れたビルだからといって、安全とは限りません。
地下店舗や地下駐車場を持つビルでは、出入口、換気口、配管の貫通部などから雨水が流入する可能性があります。特に深刻なのは、地下に受変電設備などの重要設備が設置されている場合です。
2019年の東日本台風では、武蔵小杉の高層マンションで地下の電気設備が浸水し、停電によってエレベーターや給水設備などが長期間使えなくなる被害が発生しました。これを踏まえ、国土交通省と経済産業省は2020年に「建築物における電気設備の浸水対策ガイドライン」を取りまとめています。
この事例は大規模マンションですが、地下に重要設備を持つ中小ビルにも共通する問題があります。地下階の浸水が、地上階を含む建物全体の機能停止につながり得るということです。
止水板の設置、排水設備の改善、重要機器のかさ上げや移設など、対策にはさまざまな方法があります。しかし、建物の立地、道路との高低差、地下の利用状況、設備の配置によって適切な方法は異なります。
また、地下浸水には豪雨による雨水の流入だけでなく、地下水の流入や排水設備の不具合など、別の原因が関わる場合もあります。原因を区別した調査が欠かせません。
地下浸水への対策は、建物を守るだけでなく、テナントの事業継続を守るための投資でもあるのです。
ビルのESGは、省エネだけでなくレジリエンスの問題になる
ここまで考えると、ESGに対応したビルとは、単にエネルギー消費の少ない建物だけではないことが分かります。猛暑でも適切な室内環境を維持できること、集中豪雨でも重要設備を守り、被害を最小限に抑えられること、万一の被害が発生しても、できるだけ早く建物の機能を回復できること。こうした能力は「レジリエンス(強靱性・回復力)」と呼ばれ、建物を長期的に使用するうえで重要になります。
不動産ファンドにとっては、気候変動による物理的リスクが将来の修繕費用や資本的支出、賃貸収入、保険条件、さらには不動産評価に影響する可能性があります。
もちろん、すべてのビルで大規模な防災改修が必要というわけではありません。重要なのは、建物ごとにリスクを評価し、そのリスクに見合う対策を検討することです。
これからのバリューアップには、平常時の収益性だけでなく、気候変動の中でも使い続けられる建物にするという視点が欠かせません。
工事をすれば、バリューアップになるわけではない
ビルのバリューアップというと、外観やエントランスを美しくする工事、設備を新しくする工事などが思い浮かびます。もちろん、それによってテナントの評価が変わり、収益改善につながることもあります。しかし、工事そのものが目的ではありません。
空室が続いている原因が賃料設定にあるなら、募集条件の見直しが先かもしれません。テナントの需要と建物の間取りが合っていないなら、専有部の構成を変更する必要があるかもしれません。漏水が問題なら、見栄えを改善する前に、原因を調査して適切な修繕を行う必要があります。
そして、猛暑への対応が不十分なら、空調能力や建物の熱負荷を見直すことが優先されるでしょう。限られた投資予算の中で何を優先するか、その判断には建築、設備、PM、リーシング、賃貸市場の知識を横断的に使う必要があります。
バリューアップとは、工事を増やすことではなく、建物の価値を高めるための判断を積み重ねること。 時には、工事をしないという判断も、その一部です。
既存ビルを残すことは、常に環境に優しいのか
既存建物を改修して使い続けることには、環境面での意義があります。建替えには新たな建設資材やエネルギーが必要となり、解体に伴う廃棄物も発生します。既存の構造体などを活用できれば、こうした環境負荷を抑えられる可能性があります。
しかし、建物を残すことが常に環境面で優れているとは限りません。古い建物のエネルギー消費が大きく、改修による改善にも限界がある場合、建替え後の運用も含めて比較する必要があります。また、耐震性能、法規への適合性、安全性の問題もあります。
改修と建替えを比較するなら、建設時だけでなく、その後の使用期間を含めたライフサイクル全体で考える必要があるのです。単に古い建物を残すことではなく、安全性、環境性能、事業性を確保しながら使い続けること。そこに、既存ビルのESGを考える意味があると思います。
PM・リーシング・改修を分断していてよいのか
既存ビルの価値を維持するうえで、もう一つ問題があります。それは、PM、リーシング、改修工事が、それぞれ独立した仕事として扱われがちなことです。
PMは日々の管理を行い、リーシング会社はテナントを探し、工事会社は依頼された工事を実施する。それぞれに専門性があり、分業自体が悪いわけではありません。しかし、建物全体の収益性や将来の競争力について、誰が継続して考えるのでしょうか。
空室が増えたという報告だけでなく、なぜテナントが決まらないのかを考える。漏水が発生したという報告だけでなく、原因や再発防止策、テナントへの影響を考える。設備の更新時期が来たという報告だけでなく、気候変動や将来の使用条件も含めて、どのような設備が必要かを考える。
こうした判断を積み重ねることで、管理業務は単なる日常作業ではなく、建物の価値を維持する仕事になります。
ESGも同じです。環境認証の取得や省エネ設備の導入を、それぞれ独立した取り組みとして終わらせてはいけません。建物がテナントから選ばれ続けること、収益を維持すること、必要な投資を続けられること。そのために、PM・リーシング・改修を一体で考える必要があると考えています。
ビルのESG投資の本質とは
ESG投資は、省エネルギー設備の導入や環境認証の取得だけで完結するものではありません。環境負荷を減らすことは重要ですが、それだけで建物を長く使い続けられるわけではありません。
猛暑に対応できない空調設備、繰り返す漏水、豪雨による地下浸水。そうした問題を抱えた建物では、テナントの事業活動を安定して支えることが難しくなります。また、建物が市場の需要に応えられず、賃料収入を失えば、必要な修繕や設備更新を継続することも難しくなります。
だからこそ、私たちは次のことを重視しています。
建物を長持ちさせるには、貸せるビルでなければならない。
テナントから選ばれ、収益を生み、その収益によって必要な修繕や改修を続けられる。そして、変化する気候条件の中でも、快適性と安全性を維持し、建物の機能を守り続ける。こうした条件を整えるための投資が、既存ビルのバリューアップです。
もちろん、収益性を高めることだけでESGのすべてが満たされるわけではありません。環境面・社会面の効果を評価し、適切な管理と説明責任を果たす必要があります。しかし、経済的に使い続けられない建物を、環境的にも社会的にも持続可能なものとして維持することは難しいでしょう。
環境負荷の低減、気候変動への適応、そして経済的な持続可能性。この三つを切り離さずに考えること。
私たちは、そこに既存ビルのESG投資の本質があると考えています。
参考資料
国土交通省「不動産分野におけるESG投資の促進に向けた取組 モデル調査事業」
国土交通省・経済産業省「建築物における電気設備の浸水対策ガイドライン」(2020年)
KRE Appraisal「ESG対応ビルは本当に高く売れるのか?国内外のデータが示すグリーンプレミアムの真実」
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そのビルを、これからどう活かすか。
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