AI活用の先にある、見落とされがちなBCP(事業継続計画)リスク
毎日のように、会社の問い合わせフォームにAI導入支援の営業メールが届きます。
「御社のホームページを拝見しました」「AIの業務活用は進んでいますか」「弊社がAI導入をサポートします」
実際にホームページを見ているとは思えない、定型的な内容です。AIで作成したような文章で、AIの活用を勧めてくるのです。
「自動送信の営業メールをブロックしていない時点で、そちらこそAI活用が遅れているのでは」と言われそうです。
正直に言えば、その程度の対策はAIを使えば難しくありません。
世の中の傾向を観察するために、あえてそのままにしている——というのは建前で、本音は、まだ困るほどの量ではないから放っているだけです。
それはさておき、営業メールを読んでいて、一つ気になることがあります。
どのメールも、AIを導入しましょう、AIで効率化しましょうという話ばかりで、その先にある経営リスクに触れたものは、今のところ一通もありません。営業メールは、売る側がいま何を考えているかを映す鏡でもあります。
そこにリスクへの視点がまったく見えないのだとすれば、この国は大丈夫なのか?
そんな疑問を抱かずにはいられません。
AIを導入し、業務を効率化する。それ自体は企業活動としては悪いとは言えません。
当社でも、このサイトの制作や運用にもAIを積極的に活用しています。
しかし、AIが突然使えなくなったら、その会社は業務を続けられるのでしょうか。
日々の作業だけでなく、分析や判断までAIに任せるようになったとき、社員は自分たちの力で問題を解決できるのでしょうか。
サービスが止まることだけがリスクではありません。
AIに頼ることが当たり前になり、自分たちで考え、判断する能力そのものが失われていく可能性もあります。
AIを使ったサイバー攻撃が頻繁に起きる昨今、セキュリティ対策にこちらもAIを活用する、ということはもちろん重要です。
しかし、そうしたセキュリティ対策とは別に、通常の事業で、AIへの依存が進むことで生じるBCP(事業継続計画)の問題も、企業は考えておく必要があります。
AIを活用することと、AIに依存することは違います。
この違いを理解し、リスクへの備えを持つことが、本当の意味でAIを活用できる企業になるための条件ではないでしょうか。
今回は、ビルの運営管理を担うプロパティマネジメント(PM)の仕事を例に、この問題を考えてみます。
01|AIの間違いより、間違いを見抜けなくなることが怖い
AIは間違えます。法律の解釈を誤ることもあれば、存在しない情報をもっともらしく説明することもあります。
しかし、人間も間違えます。AIが間違うこと自体が、最大の問題なのではありません。
問題は、その間違いを見抜ける人間がいるかどうかです。
例えば、築35年のオフィスビルで空室が増えたとします。AIに改善策を尋ねれば、賃料の引き下げ、共用部の改修、用途変更、募集条件の見直しなど、いくつもの選択肢を提示してくれるでしょう。
しかし、そのビルには建築基準法上の制約があるかもしれません。過去の改修で生じた問題や、既存テナントとの特殊な契約条件も考慮する必要があります。さらに、オーナーがそのビルを長期保有するのか、売却するのか、次世代に承継するのかによっても、取るべき対策は変わります。
そうした事情を踏まえずにAIの提案を採用すれば、立派な改善計画が、かえって資産価値を損なう結果につながる可能性すらあります。
AIは、与えられた情報を基に答えを出します。
しかし、その情報が十分なのか、現場の実態と合っているのかまで、自動的に保証してくれるわけではありません。
だからこそ、提案の妥当性を判断する実務知識と経験が必要になります。
AIの間違いは修正できます。しかし、間違いを見抜く能力を失った組織では、修正すること自体が難しくなるのです。
02|PM業界は、もともと「作業」と「判断」を混同しやすい
プロパティマネジメントの業務には、定型的な作業が多くあります。
賃料の請求、入金確認、契約更新、月次報告書の作成、修繕履歴の管理、テナントからの問い合わせ対応。これらはAIやシステムによる効率化と相性のよい業務です。
しかし、それらの作業を正確にこなすことと、ビルオーナーの資産価値を守り、高めることは、同じではありません。
例えば、空調設備の故障が頻発するビルがあるとします。
修繕見積書を集め、比較表を作り、オーナーに報告する。それもPMの仕事です。
しかし、本来考えるべきことは、その先にあります。
修理を繰り返すべきなのか。設備を更新した方がよいのか。
他の設備と更新時期を調整できないか。テナントへの影響はどうか。
長期的な収益にどのような違いが生じるのか。
こうした判断を支援することこそ、PMに求められる重要な役割です。
ところが現実には、作業をこなすことが仕事になり、その先を考える習慣が十分に育っていない組織もあります。
そこにAIが導入されると、報告書は短時間で完成し、修繕計画も見栄えよくまとまり、オーナーへの提案書まで自動的にできあがります。一見すると、生産性は大きく向上します。
しかし、担当者自身が、なぜその提案が適切なのかを説明できなければ、何が改善されたのでしょうか。
AIによって、考えなくても、考えたような成果物を作れるようになる。
これは、もともと作業と判断の区別が曖昧になりやすいPM業界にとって、特に警戒すべき問題だと思います。
03|若い担当者は、何によって経験を積むのか
不動産の実務には、マニュアルやデータだけでは身につかない知識があります。
建物を見て気づく違和感。契約書の一文から想像できる将来のトラブル。テナントとの会話から読み取る退去の兆候。
こうした判断力は、仕事の中で考え、失敗し、修正することによって培われます。
AIが経験の少ない担当者を支援することには、大きな価値があります。これまでベテランに聞かなければわからなかったことも、AIを使えば、その場で考える手がかりを得られます。
しかし、AIが出した答えを受け取るだけで、自分で考えたり、検証したりする経験を積まなければ、どうなるでしょうか。
ベテランが退職し、若手はAIの操作には習熟しているものの、自分で判断を下した経験が乏しい。そんな組織が生まれる可能性があります。
AIに業務知識を蓄積することと、社員に判断力が身につくことは違います。
もちろん、AIによって学習の機会を増やすこともできます。
だからこそ、AIに答えを出させるだけでなく、その答えを検証し、別の選択肢を考えるために使うべきでしょう。
効率化によって省略された過程の中に、実は人材育成に必要な経験が含まれているのかもしれません。
この問題は、短期的な生産性の数字だけを見ていても、なかなか表面化しません。
04|AIが突然止まったら、管理業務はどうなるのか
AIへの依存が進めば、AIが使えない状況も想定しておく必要があります。
サービス提供企業の障害、通信回線の不具合、利用条件や機能の変更、料金の大幅な改定。利用していたサービスそのものが終了することも考えられます。
AIが止まっても、すべての不動産業務が直ちに停止するわけではありません。
しかし、入居者対応、修繕手配、管理報告書、契約書案の作成、賃料査定などをAIに大きく依存していたら、従来の方法で仕事を続けられるでしょうか。
ビル管理の現場では、設備トラブルや漏水、テナントからの緊急連絡など、先延ばしにできない問題が起きます。
管理会社の都合でAIが使えなくなったからといって、ビルの運営を止めるわけにはいきません。
ここでいうBCPは、単なるデータのバックアップではありません。
データが残っていても、それを扱える人間がいなければ仕事は再開できません。手順書があっても、実際に動ける人間がいなければ意味がありません。
さらに、AIが停止したときの影響は、企業ごとに異なります。AIを資料作成の補助に使っている会社と、問い合わせや業務判断の一部を自動化している会社とでは、必要な対策も違います。
だからこそ、自社のどの業務がAIに依存し、どの業務はAIなしでも継続できるのかを把握しておく必要があります。
必要なのは、システムのバックアップだけではなく、業務を遂行する能力のバックアップなのです。
05|「能力のバックアップ」は、日々の仕事の中でつくる
では、能力のバックアップとは、具体的に何をすればよいのでしょうか。
何も、すべての業務について二重の体制を整える必要はありません。
大切なのは、止めてはならない業務を見極め、AIが使えない場合の対応方法を決めておくことです。
例えば、漏水や設備故障などの緊急対応です。
連絡先や初動の手順、判断基準を、AIが使えなくても確認できるようにしておく。担当者が変わっても必要な対応ができるよう、定期的に手順を確かめておく。
これは従来のBCPと共通する考え方ですが、AIへの依存が進むほど重要になります。
もう一つ必要なのが、判断能力を維持する仕組みです。
AIが作成した提案書について、担当者自身がその根拠を説明できるか。ほかにどのような選択肢があり、なぜその案を採用したのかを説明できるか。
上司が確認すべきなのは、完成した資料の見栄えだけではありません。そこに至る判断の妥当性です。
また、AIの出力だけでなく、採用した理由や修正した点を記録しておけば、後から判断を検証できます。若い担当者にとっても、経験を学ぶ材料になります。
そして、重要な管理データは特定のAIサービスに閉じ込めず、必要なときに取り出し、別の方法でも利用できるようにしておくことが望まれます。
こうした準備は、AIを使わないためのものではありません。
AIが使えない状況でも仕事を続けられるようにすることで、普段はAIを積極的に活用できるのです。
06|ビルオーナーにとって、これは他人事ではない
ビルオーナーが管理会社を選ぶとき、管理手数料や業務範囲、担当者の対応などを比較することが多いでしょう。
しかし、今後は、管理会社がAIをどのように活用し、そのリスクにどう備えているかも、確認すべき項目になると思います。
例えば、AIによって作成された修繕計画を基に、数千万円の設備投資を提案されたとします。
その担当者は、投資が必要な理由を自分の言葉で説明できるでしょうか。
ほかの方法と比較し、オーナーの経営方針や資金計画に合わせて、提案を見直すことができるでしょうか。
あるいは、AIを利用した問い合わせ対応や修繕手配が停止したとき、誰が業務を引き継ぐのでしょうか。
管理会社との打ち合わせでは、次の三つを尋ねてみてもよいと思います。
「AIが使えなくなったとき、管理業務は継続できますか」
「AIを使って作成した提案について、担当者は根拠を説明できますか」
「社員が自分で考え、判断する能力を維持するために、何をしていますか」
すべての対策が完成している必要はありません。
しかし、こうしたリスクを認識し、対応方針を持っているかどうかは重要です。
そもそも、ビルオーナーにとって大切なのは、管理会社がどれだけ新しい技術を導入しているかではありません。
自分の資産を預けた相手が、予期しない状況でも必要な判断を行い、責任を持って対応できるかどうかです。
AIを活用していることと、安心して管理を任せられることは、必ずしも同じではありません。
07|同じAIに依存することで、業界全体が抱えるリスク
もう少し視野を広げて考えてみます。
多くの不動産会社が、同じようなAIを利用し、同じような情報源から判断するようになったらどうなるでしょうか。
例えば、ある地域のオフィス需要について、AIが将来的な低下を予測したとします。
その予測を受け、多くの会社が一斉に投資を控え、売却を勧め、賃料を引き下げたらどうなるでしょう。
個々の会社では合理的に見える判断でも、それが集中することで、市場の動きをさらに強めてしまう可能性があります。
もちろん、これはAIによって必ず起きる現象ではありません。
市場参加者の判断が同じ方向に偏ることは、以前からありました。
ただ、AIによって分析方法や情報源が似通えば、判断まで均質化する危険があります。
不動産には、地域や建物、所有者ごとに異なる事情があります。同じエリア、同じ築年数のビルでも、最適な経営方針が同じとは限りません。
さらに、業界全体が少数の外部AIサービスに大きく依存すれば、一つの障害が多数の企業に同時に影響する可能性もあります。
AIは、単なる情報処理だけでなく、分析や判断の過程にまで入り込みつつあります。
そのため、サービスが停止したときの影響は、単に作業効率が低下するだけでは済まないかもしれません。
住宅、オフィス、商業施設、物流施設。不動産業は、人々の暮らしや企業活動を支える建物の運営に関わっています。
一社ずつの業務効率化が、業界全体の脆弱性につながることがないよう、考えておく必要があります。
これは、不動産業に限った問題ではありません。
社会のさまざまな機能にAIが組み込まれていく以上、個々の企業だけでなく、業界団体や国も向き合うべき課題です。
08|AIを使わないことが、対策ではない
ここまでAIへの依存リスクを書いてきましたが、AIの利用を控えるべきだと言いたいわけではありません。
むしろ、AIは積極的に活用すべきだと考えています。
情報収集、資料整理、データ分析、文章作成、選択肢の比較。AIによって効率化できる業務は多くあります。
作業の時間を短縮できれば、その分だけ現場を確認し、テナントと話し、オーナーの経営方針を理解し、よりよい提案を考える時間が生まれます。
本来、AIの活用はそうした方向に進むべきでしょう。
ところが、効率化で生まれた時間を、さらに多くの作業を処理するためだけに使っていては、仕事の本質は変わりません。
報告書を作る時間が半分になったとしても、その内容について考える時間まで半分にしてしまえば、何のための効率化なのでしょうか。
AIが代わりに作業してくれるようになったのなら、人間はその分、もっと考えるべきなのです。
AIの利用を増やすことと、AIに依存しすぎない体制を整えること。一見矛盾するようですが、この二つは同時に進める必要があります。
AIに依存しない仕組みを持っているからこそ、安心してAIを活用できるのです。
09|問われているのは、AIを使って何を考えているか
報告書を短時間で作れることも、市場データを分析できることも、やがて特別な能力ではなくなるでしょう。
AIを導入していること自体は、もはや他社との差別化にはなりません。
重要なのは、AIから得た情報をどう解釈し、何を判断し、顧客のためにどう行動するかということです。
そして、AIが正常に動いているときだけでなく、使えなくなったときにも、顧客の資産を守るための仕事を続けられるかどうか。そこまで考えることが、AIを経営に取り入れるということではないでしょうか。
AIを使える不動産会社になることと、AIがなければ仕事のできない不動産会社になることは、まったく違います。
この原稿を書いているあいだにも、問い合わせフォームには新しい営業メールが届いていました。
「AIの業務活用は進んでいますか」
本当に問われるべきなのは、AIをどれだけ使っているかではないはずです。
AIを使って、何を考えているか。そして、AI時代の本当のリスクマネジメントとは何かを考えているかどうかです。
その問いは、メールを受け取る側だけでなく、送る側にも向けられています。
AIの導入や効率化を競うばかりで、その先にあるリスクを考えようとしない。
今日もまた届いた営業メールを読みながら、私は同じことを考えています。
この国は、本当に大丈夫なのか。
(2026年10月9日)





















